桜がきれいですね。
今日はフォロワーさんの「陰性とわかる前にみた桜と、わかったあとにみる桜は見え方が違う」といった内容のツイートをみて、すごくよくわかるなーと思いました。
それで今日は母との思い出を書いてみたいと思います。
ちょっとしんみりした話になりますが、よかったら最後までおつきあいください。
Contents
30代後半は介護の日々
私は40歳のときに母を亡くしています。
母は私が37歳の時に肺がんになり、一時は持ち直したのですが、2年後に脳に転移し、介護状態となりました。
私はまだこの頃は不妊治療は始めていませんでした。
子どもは欲しかったけど、仕事と母のケアでいっぱいいっぱいで、それどころじゃなかったというのが正直なところです。
それに、高齢で妊娠することがどれだけ難しいかといった不妊治療界隈の知識もありませんでした。
ですから、私の30代後半は、母一色。
母のケアにほぼすべての意識が集中し、母の生活費と治療費を稼ぐためにひたすら仕事をしました。
不妊治療を始めたのは亡くなる数ヶ月前です。
なんとか母に孫の顔を見せて、もう一度生きる気力を取り戻して欲しいと思いましたが、願いは叶いませんでした。
(そしてこのとき大きな筋腫が見つかりました→「筋腫を取るかものすごく悩んだ話」)
仕事が生き甲斐だった母
母は私が20代の頃、父と離婚し、その後ずっとひとり暮らしをしていました。
奔放な父の子どもを4人も産んで、働きながらわたしたちを育ててくれました。
お金はみんな子ども達に使い、自分は贅沢もせず、仕事が生き甲斐の人でした。
それが病気になり、同じタイミングで店長として働いていた飲食店が東京撤退となり、職を失いました。
今思うと、仕事を失ってから、いろんな意味で加速度的に人生の終焉へと近づいていったように思います。
母にとって、働くということは生きることそのものでした。
毎日電話で話した
晩年は高齢者専用のケア付きマンションに入居しました。
毎日は行けないので、その分、隙間時間を見つけては1日に2〜3回電話しました。
夜はバスを一つ手前の停留所で降りて、電話の時間を確保。
毎日、歩きながら電話しました。
電話をすると必ずする会話がありました。
さなえちゃん、どこ歩いてるの?
公園だよ
危ないから気を付けて
毎回、毎回、この会話を繰り返していました。
大丈夫だよといっても、母の不安は解消されず、ずっと私の心配をするのです。
晩年はやや認知も入り、とくに子ども達を心配する気持ちが顕著に表れていたように思います。
![](https://funin-communication.com/wp-content/uploads/2018/03/sakura02.jpg)
よく電話しながら歩いた道です。
![](https://funin-communication.com/wp-content/uploads/2018/03/sakura01.jpg)
真ん中にグラウンドがあって桜に囲まれています。
無償の愛
そのほかにも私が電話すると、母がよく
私のお姫様から電話だわ
と言っていました。
こんな私でもお姫様といってくれる母の愛が嬉しくて、
と同時に母の命のともしびが消えつつあるのを如実に感じて、
電話を切ってからいつも涙が出てきました。
そして、
私も子どもがいたら、こんなふうに無償の愛を与えることができるのだろうか、
私はこんなふうに人を愛したことはあるだろうか、
こんなことをよく考えていました。
悲しみにくれているからこそ美しい
で、前置きが長くなりましたが、この母が桜が大好きだったんです。
そして、亡くなったのは4月の始め。桜が満開でした。
亡くなる数日前は、咲き誇る桜をみて、母が持ち直すことを願いました。
亡くなってからは、はらはらと散る桜が胸にせまってきて、こんなに美しい桜はみたことないと思いました。
今でも目をつぶると、そのときの青い空と桜吹雪が目に浮かびます。
人は、悲しみにくれているからこそ、
いつもよりも自然の美しさに胸を打たれのではないかと思います。
こちらが悲しんでいようが喜んでいようが、変わらぬ姿でそこにある。
圧倒的な悲しみの中で、圧倒的な生命力に触れたとき、人は自然の偉大さを感じるのではないでしょうか。
命のつながりが切断されると
母が亡くなってから半年くらいは、まるで自分が異次元にいるようでした。
大地とのつながりが切れたみたいで、歩いていても現実感がなく、感覚的には10センチくらい浮いたところをフワフワ歩いているような感じでした。
これは現実なの? パラレルワールドなのでは? と何度も思いました。
これって、命のつながりに関係あるのかなと思っています。
肉体的なつながりが絶たれると、少しの間、糸の切れた凧のようになって、さまようのではないかと。
だから不妊治療中は、新しい命を迎え入れる活動を一生懸命していて、
それが何度も絶たれるわけですから、大変なショックを味わうのは当然です。
そこが、不妊治療のつらさの特徴でもあるかのなと思っています。
生きていたら聞いてみたいこと
クリニックにお母さんと一緒に来ている人をみると、いいなーと思います。
そしてこっそり心の中で、お母さんを大事にしてあげてね、と思います。
私は、まだ話したいこともたくさんあったし、聞きたいこともたくさんありました。
もし生きてたら一番最初に
お母さんって、いつまで生理あったの?
と聞いてみたいです。
なにせ、私は早発閉経でしたので、母がどうだったのか、ぜひ聞いてみたい(笑)
あとは、
私に子どもがいないこと、どう思ってる?
というのも聞いてみたい。
きっと
さなえちゃんが幸せだったら、お母さんそれでいいわ
と言うと思います。
あ、目から涙が・・・😂
最後に
この満開の桜を、失意のうちに眺めている人もいますよね。
できたら、自分の等身大の気持ちを受け止めて、しみじみと桜の美しさを味わってみてほしいなと思います。
悲しいな
でも、なんて美しい桜なんだろう
人間って不思議なもので、相反する気持ちを同時に感じることができるんですよね。
こうした痛みがあるからこそ、私たちは強いんです。
だからこそ、人に優しくできるのです。
どうぞ、胸張って、顔上げて、桜の花びらを受け止めてみてくださいね。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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さなえさん、私もおばちゃん大好きでした。
もう一度お会いしたかったと今も思っています。
さなえさんのご活躍、とっても嬉しいです。
これからも応援していますのでいつも元気で優しいさなえさんでいてください♥
変なコメントごめんね
へっくしょんさん、コメントありがとうございます!!!
母のことを知ってるんですね。わー、どなたでしょうか(^_^;)
最近、母が住んでいた場所の近くを通って、胸がぎゅっとなりました。
泣くことはほとんどなくなったけど、やっぱりときどきとてつもなくさみしくなるときがあります(^^;)
でも心の中に母が生きていると感じることも多いので、がんばっていきます!