プロフィール☆高齢不妊治療、早発閉経、どの辺が辛かったか

はじめまして。さな吉こと矢田早苗です。現在40代後半。

2016年には治療に専念するために仕事を辞めました。

数年前からローズレディースクリニックに通っており、最近は治療はひと段落し、体のコンディションを診るためだけにローズでお世話になっています。

AMH0.16以下、E2ゼロ、FSH100以上、抗核抗体640倍、早発閉経。
研修講師歴15年。専門分野はコミュニケーションです。

プロフィールをかねて、簡単に私の治療歴を紹介したいと思います。

不妊治療は生きてきた中で一番辛い体験

私自身、不妊治療では本当に苦しい、自分の存在意義を根底から覆されるような辛い思いをたくさんしてきました。40年以上生きてきて今回の人生経験ほど苦しかったものはありません。

30代後半に母のがんが発覚し、子どもが欲しいという気持ちはありましたが、母親の金銭援助のため、仕事で稼ぐことが最優先事項となり、子どものことは後回しになっていました。

その後、母の症状が悪化し介護状態へ。何とか生きているうちに孫を見せてあげたいと40歳になってから不妊治療を開始。しかし、1年後に母を看取るまで介護・仕事・不妊治療の3本立てで精神共にボロボロになりました。

昨年、最後の治療に専念するために一旦仕事を辞めました。子どもができるかはわからないけど、ここで一度子どものことを最優先事項にしないと「私、死ぬときに絶対後悔する」と思って辞めました。

治療の末、二回だけ採卵までこぎつけたことがあります。1回は空砲、2回目はひとつ取れましたが、育ちませんでした。

早発閉経

仕事を辞める前の話ですが、いくつか病院を転々とする中で、自分が「早発閉経」ということがわかりました。

ものすごいショックでした。

これは二つの側面から私を苦しめました。

不妊治療のスタートラインにすら立てない

一つ目は子ども以前に不妊治療そのものを望むことさえできないのかという絶望感です。

・子どもほしいという以前にそもそも子どもができる状態じゃない

・排卵してないし、もう卵子も残っていない

子どもができない、妊娠しないということに苦しんでいましたが、そういう次元の話じゃなかったのです。

私のような患者は、採卵などをバンバンして妊娠率の高さを売りにしている病院からは、来られても困る患者です。

藁をもすがる思いでネットで検索したところ「AMHFSHは検査するタイミングによって変わることもある」という体験談を見つけました。自分もたまたまかもしれないと思い、都内の評判のいい病院に2カ所行ったところ、結局2回とも泣きながら帰りました。

医者の心ない言葉に傷つく

そのうち一つの病院では本当に心ない言葉をかけられて、自分という人間がまったく価値のない人間であり、女性であるということそのもの自体が根本から否定され、立ち上がれないくらい落ち込みました。このときは夫も一緒に病院にいっており、夫も精子の数や運動率のことで酷い言われ方をし、夫婦二人で傷ついて帰りました。

地下鉄に乗る前に泣く私。それを見て「あんなどうしようもない医者に言われた言葉で泣くな」と怒る夫。お互い、胸の中では血を流し、痛い思いをして涙を流しているのに、普通の顔をして電車に乗って家に帰りました。(そして、帰ったとたんに激しい喧嘩。夫婦が同時にあんなに傷ついたのは初めてでした)

自分の中の女性性の崩壊

そしてもう一つ苦しかったのは、まったく心の準備ができていなかった「生理」とのお別れに、もの凄く傷つき、自分のアイデンティティが根底から崩れてしまったような、自分というものの崩壊を味わいました。

自分の女性性をどのように捉えていいのかわからなくなり、また自分が女としてどういう存在なのかもわからなくなってしまいました。

内面化した差別に苦しむ

頭の中に何度も浮かんできたのは

女としてもう終わった

という思いです。

そしてこう考える自分にもショックでした。

この不妊治療を通じて何度も何度もわき起こってきたのはこうした社会の「こうあるべき」を基準にした、自分の存在を否定する言葉です。

知らない間に取り込んで、自分でさえ存在に気づいていなかった内面化した差別にぶち当たり、衝撃を受けました。

女性は子どもを産んで子育てを経験すべき
女性というのは生理があるもの
女性は若い方が価値がある

本当に全くそんなこと思ってないし、そんなことを他人に言ってる人をみたら怒りを感じて「違います!」と言うと思う。

でも自分にはダメでした。

自分を否定し続ける

人に対しては1ミリもそう思わないのに、自分に対してはダメの烙印を押し続ける。

「こうあるべき」という差別意識が自分の中にしっかり根付いていて、私を苦しめました。

どうしてもこの内面化した差別がぬぐえなくて、「女として終わった」という考えから抜け出るのに長い時間がかかりました。

新しい生命を授かりたいという命に関わる取り組みをしながら、取り組めば取り組むほど自らの「生殖不全」に直面し、突然の出来事に思考は一気に「死」に近づき、自分の老いと直面せざるを得なくなったのです。

一時期どん底へ

そもそも卵すらない、生理も終わってしまったという事実は、本当に受け入れがたく、苦しみ以外の何者でもなかったです。

長い間、何をしていても、深い、真っ暗な湖の底に沈んでしまったような、どこにも抜け出せない絶望感が常にありました。

涙が止まらない日々

早発閉経と闘っていたこの時期は、赤ちゃんを見ては涙がじんわり出てきて、妊婦さんを見ては胸が押しつぶされそうに苦しくなり、時折耳に入る子どもの話には孤独感と焦燥感がつのりました。

自分でも、おかしくなっている自覚がありました。

心が死んでしまった

数ヶ月間は本当に毎日毎日泣いて過ごしていました。

元来、私はけっこうしゃべる方なのですが、この時期は仕事ではなるべく普通でいられるように努力し、家に帰ったら夫には自分から話しかけず(というか話しかける気にすらならなかった)、いつも暗い顔をして存在が消えたようになっていました。間違いなく鬱状態に陥っていました。(20年以上の夫婦生活の中で、私がほとんどしゃべらなかったのはこの時期だけです)

支えてくれたのはまわりとのコミュニケーション

だいぶ減りましたが、今でも赤ちゃんや子ども連れのお母さん・お父さんを見ると胸がきゅとなります。

この間、いつもかたわらにあったのはアサーティブという自他尊重のコミュニケーションの考え方です。

24歳の時に出会い、その後の人生の節目節目で、自分がどう生きていくかの指針を与えてくれました。

辛い気持ちも私の大事な気持ち

今回の不妊治療では、暗い湖に沈んだような暗黒の世界の中に生きながらも、アサーティブというコミュニケーションの道具を持っていたおかげで、辛いながらも自分の気持ちを大切にしたり、夫と腹を割ってとことん話し合ったり、周りにどんな協力が欲しいか伝えたり、常に自分はどう生きていきたいのかというビジョンを描くことができました。

アサーティブを自分との対話に使い、相手に自分の気持ちを伝えるときにも使い、そして大事な人を理解するときにも使いました。

アサーティブはなんでも解決してくれる魔法の道具ではありませんが、私が私らしく、もがき苦しみ、人間として成長するのを支えてくれました。

最後に

この数年間で感じたことを忘れないうちに文章にまとめておきたいというのと、私の経験が誰かの役に立ったら嬉しいと思ってブログを始めました。

このブログでは、私がどんなことを考えて、どのように自分の中で落としどころをつけて、どのように夫とぶつかって、どのように信頼関係を築いてきたか、書いていきたいと思います。

また身近な人とのコミュニケーションについても考え方や具体的なスキルについても紹介していきたいと思います。

このブログを読むことによって不妊治療をしている女性が少しでも元気になったら嬉しいです。

どうぞよろしくお願いします。

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※このウェブサイトは、NPO法人アサーティブジャパン会員である矢田早苗が個人で開いているホームページです。お問い合わせは直接矢田までお願いいたします。

2 件のコメント

  • 記事を読ませていただきました。私の30代後半~40代半ばにかけての生き方と同じだなと思い涙がこみ上げてきました。母の介護、自分達の不妊治療、仕事、家事、ほぼ同じ日々。どんなに大変だっただろうと思います。はじめまして。今日、FSH101、 E₂5以下という結果をもらった48歳(まもなく49歳)のものです。間違いなく閉経がやってきました。突然です。今年8月中旬まではどにかこうにか生理もありましたが。(かなり少なくなったりしてましたが)40代半ばには私も医師より心ない言葉をいくつもいくつももらいました。「あなたの女性性はもう終わってる」、「あのね~・・・別のことを考えて生きなさい」、「もう十分やったじゃない」、「こんなにやってきた結果なのだから妊娠はもうしません」などなど。「なぜできない」そればかりを考える毎日でした。今は、「なぜできなかったのだろう」を考える毎日です。しかし、生きていくには前に進まなければならないものです。私たち夫婦の選択は、子供と関わりを持ちながら後悔しない人生を送るということでした。今年、里子をあずかり子育てを始めました。この年齢で体力的にとても大変ですが、初めての子育てを通して今まで自分の知らなかった生活を送れていることは不思議と充実感があります。今でもまだまだ「なぜできなかった」を考える癖は残っていて、時々、最近の不妊治療事情をネット検索したりもします。でも、家に子供が来てくれたことで、そのことから頭を切り離す時間は確実に増えてきているように思います。私と同世代の人達は晩婚化がすすみ、30代半ばか後半くらいから不妊治療を初め、情報が少ない中で一番苦労してきた年代ではないでしょうか。私も30代で結婚し、すぐできると思っていたのがもう16年も経ちました。あの時仕事を辞めておけばよかったのかなどなど後悔もいっぱいありますが、もう考えても仕方ありませ。さな吉さんが、40代後半を自分のために生きる、自分のしたいことをいっぱいして、後悔ない時間が過ごせますようお祈りします。

    • さんちゃんさん、コメントありがとうございます。
      とっても嬉しく拝見いたしました。

      さんちゃんさんも怒濤の30代後半〜40代半ばだったのですね。
      おっしゃるとおり年代的に女性がどう仕事で活躍できるかの情報はあふれていましたが、卵子が老化するとか30代後半から妊娠の確率が下がるといった妊娠にまつわる情報は少なかったですよね。
      私の場合は子どもに関して言えば、必死に生きてきたらもうタイムリミットを過ぎていたという感じです。
      その分仕事は充実していましたが、今思うとそれは後回しにしても実現出来たことじゃないかなと思ったりして。

      いま里子を迎えられて子育てしているのですね。
      うちも考えているので先ゆく仲間がいて嬉しいです。
      夫とはこれから話し合いを重ねていこうと思っています。

      同じ思いを経験して頑張ってこられたさんちゃんさんからのメッセージ、心に染みてうるっときました。
      これからの励みになります!ありがとうございました。
      さな吉

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