先月、自己注射での高刺激をやめた。今日は注射にまつわる夫婦の会話と、我が家の話し合いに臨む際のコツをまとめてみたいと思う。
注射、1本いくら?
先月、最後の注射のサイクルがあって、注射の準備をしてるときに夫に
ねえ、今回の注射で注射での刺激はもう終わりにするよ
と声かけたら
それ、1本いくら?
と聞いてきた。
いまパッと答えられないけど、めちゃ高いよ
と答えたら
だよね・・・
と致し方なしといった様子。
ねえねえ、ちょっと打たせてくんない?
どんな感じか針で刺してみていい?
と冗談でいったら、すこし真顔で考えてから
えー、やだ
と彼。きっともう注射も最後だし、私ばっかりに負担をかけてるから、一度くらい刺されたほうがいいかもしれないと思って一瞬考えてくれたんだと思う。そもそも私も刺すつもりはなかったけど、一瞬でも考えてくれたのが嬉しかった。
注射最後の日、夫との会話
また別の日。いよいよこれで注射が最後という日に彼に声をかけた。
ねえねえ、この1本で注射も終わりだよ
と声をかけたら
どんな気分?
と返ってきた。
うーん、寂しい気もするし、気持ちがラクになる部分もあるし、複雑な心境だよ
と答えたら
これまで何本打ったの?
と彼。棚から記録ノートを取り出して、彼に渡しながら
1冊で120回分の注射の記録だから、3年分、3冊で360回かな
と答えた。彼は記録ノートをぱらぱらと見て、それを私に返しながら
お疲れ様、自分、だね
と言ってくれた。その言葉を胸に、しみじみと最後の注射をした。
よく頑張ったね、自分
ほんと、そう。お疲れ様、自分。
彼がそう言ってくれるまで、あんまりそんな気がしてなかったけど、ここまでよく頑張った。
彼自身も私にお疲れ様と言いながら、自分も注射代を稼いできたことに対して「お疲れ様」という気持ちだったんだと思う。
こんなに穏やかに注射について話をする日がくるとは思ってもいなかった。
というのも、注射ネタで何度も喧嘩したからだ。自己注射はお金がかかる。果てしなくかかる。そして結果が伴えばいいけれど、うちの場合は昨年の採卵をフィナーレに、残念ながら注射の効果はあらわれなかった。
我が家では注射はお金の象徴だった。そして喧嘩の種だった。
(と言っても、私はそもそも卵が取れないから、採卵代がかからない分、他の方たちよりはお金がかかっていないほうだと思います)
喧嘩の翌日に意識したこと
注射にまつわるいろんな事でたくさんケンカもして、そのたびに腹を割って話し合って、時にはお互い一歩も引けなくて険悪になったこともある。それこそ二人で大声上げて罵倒しあってそのまま私がプチ家出するということも何回かあった。
それでもそのままにしないようにした。
だいたいその日は話すとさらにこじれるので、ぱっと離れて話さないようにする。
それで翌日に頭の血が下がって冷静になってきたら、まず
「よし、絶対に彼のことを攻撃しないで話そう」
と心に決める。そして話す前に自分の考えを簡単に整理しておく。このときのスタンスはあくまでも自分。彼がどんなにひどいかというのを証明するのではなく、自分の非は正直に認め、現段階での自分の変えられることと変えるのが難しいことは何かなと少し考えておく。
あとは「彼があんなに激昂したのには理由があるはず」と思い、目の前の彼のことを「私は心から知りたいし理解したい」と自分に言い聞かせる。
その理由は私にあるかもしれないし、彼自身の中にあるかもしれない。
変えられるものと変えられないもの
そして話し合いをしてみるといろんなことがわかって、その中で実際に私が変えられるものと変えられないものがより明確になる。
変えられるものは意識すれば比較的簡単に変えられる。たとえば話しかけるタイミングとか、相談を持ちかける時期、気にかけるお金の上限とか。
変えられないものは自分が大事にしたい信念みたいなもの。どう行動するかは別として、子どもを欲しいという気持ちは、仮に彼からあきらめろと言われても(彼はそんなことは言わないけれど)やっぱり変えるのは難しい。
このポイントは「どう行動するかは別」という点。
どんな気持ちを持とうとも、そこは私の自由。
ただし行動には責任が伴う。こと子どもに関してはやっぱり二人の問題だから、この気持ちをもとにどう行動するかは夫と話し合う必要がある。
それでもずいぶん突っ走ってきてしまったんだけどね(苦笑)。
これはホント私のクセで、こうと決めたらそれに向かって突き進む。そうやって仕事も家庭も突っ走ってきた。不妊治療はそんな私に「まずは一番近くにいる人を大切にしなさいよ」と神様がくれた機会なのかもしれない。
これから先の人生で
おそらくこの先、不妊治療を終えて年を重ねていっても「子どもが欲しかった」という気持ちは消えないと思う。その思いは過去形になるし、薄まっていくかもしれないけど、これから先も私と共にあるのだと思う。
ただし、それは自己憐憫で思い出されるものではなくて、私の中の事実として「私はこういう思いで、こんな生き方をしてきた」という証みたいなものとしていとおしく思い出されるのではないか。
隣にいる夫と笑顔で日々を過ごしていれば、おのずと未来は開けてくる。
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